お客様の声

I.S様 女性 50代 主婦 乳ガン患者
私は乳がんでリンパ節に転移もあり、抗がん剤で弱っていました。
しかし、先生の治療を受けると体が温まり「気」が満ちるのを感じます。それが何とも心地良く、気持ちが明るく前向きになれるのです。
食生活の指導も受けたので体温が上がり、血液検査も良い結果でした。手術はせずに自分の選んだ治療を経てCT検査でがんは消えていました!
ここまで来れたのも先生の的確なアドバイスと治療のお陰です。ありがとうございました。
 

Y.K様 女性40代 会社員
何かになりたい、自分でない何かになれば、そうすれば自分は何かの自分として自信を持って自分を保って生きていけるから。
そんな風に思っていました。
辛かった。なんだか分からないけど悲しかった。
こんな混沌を感じない人がいるのだろうか、誰にでも親切で優しく善良で明るくおおらかに生きている人がいるのだろうか。
例えばこんな事を思っている人を暗い、気持ち悪い、汚いとだけそういう風にだけ思う人がいるのだろうか。私はそういう人になりたい。こんなことを言ってばか正直だとか、気持ち悪いとか思える人に。
私は幸せになりたい。
ただ幸せになりたくて、そんな思いで始めてみました。
そうしたら何か変わってきました。
私の気持ちも、対人関係も…
叫んでしまいたいような時も少なくなって落ち着いてきました。
これなら何とかなりそうな気がしています。
 
T.M様 女性40代 会社員
このブログにもあるように、最初から天動説的及び地動説的な生き方過ごし方と言っても、なんだかちっとも分かりませんでした。
分からないながらもひとつひとつこなしていくうちに、はり治療を受けていくうちに確かに何かが変わってきているのです
それからも何かよく分からないまま続けていくと、何かよくわからないけれど人間関係が変わってきているのです。
ある時など5万円ちょっと入っていたお財布を落としてしまった時どうせ絶対に戻ってくるわけないと腹を立て諦めて何をすることもなくできずにぼーとしていたら、近くの交番から連絡が入ってきてしまいました。
一円たりとも不足する事なくお財布が戻ってきているというのです
しかも拾って下さった方は名乗るでもなく消えていったそうです。ほかにも色々な変化が起こっています。
その後も何かよく分からないものの続けて数ヶ月が経っています。
いつ頃だったでしょうか、よくは覚えていませんが行動パターンが変わってきているのです。
今思えば私は常に常にtakeの生き方をしてきていたように思います。
giveのつもりでも、心の奥底に損得とかかっこいいとか見返りとか打算があったと思います。
そういうのって表面上はgiveだけど中身は、実は実はtakeだったように思います。
だからこそ上手くいっていませんでした。
それも最初は全然気付きもしなかった事を思い出します。
イイ男がつくはずありません。イイ男だと思うと実はDVとかマザコンとか上っ面だけの嫌な男に気も身体もゆるしていたように思います。
なんて軽薄でバカな私かしらと嫌になってしまいます。そういう目先だけのバカな女を経験していくうちに、だんだんと意識することなく行動パターンが変わってきてしまいました。
綺麗に書くなら、何処に行っても誰に会ってもどんな人にでも、花の種を蒔くようになってきているのです。
もちろん踏み潰される事もあります。水を与えてくれる事なく枯れていってしまうものもあります。
結果はどうであれ、求める事なく花の種を蒔くようになってきている自分が不思議といます。
本当に不思議なのです、自分が求める事なく種を蒔いているなんてびっくりしてしまいます。これがワクワクというのでしょうか、これがgiveの生き方というのでしょうか、実はこれってけっこうらくで楽しいのです。実に嫌になってしまいます、過去の私と比べてみて、信じられますか…
そうなんです嘘みたいなんだけど本当なんです。
 
H.S様 40代 会社員
毎日毎日何だか腹立つ事、イライラする事、悲しくなる事、落ち込む事、悲劇的な被害者妄想になったり発狂して行き詰まって自殺したくなっちゃうみたいな気分が絶え間なく続いちゃうんです。まるで行き先の分からない汽車に乗せられたみたいで降りられないし苦しくて不安で不安で…
今日はお日さまも温かいしお気に入りの黄色のワンピースをクローゼットから出しちゃって着ています、久しぶりにミルク味の生チョコも用意して今日のティータイムは春風です。
そんなワクワクだったのに、ほんの一瞬の暗黒な場面があっただけで気分はまっ逆さま。
私はね。会社では社会人としての私になるの。なんかそうしなきゃいけない気がして勝手にそうなってるんだけど
時々私の中から他の私が出てくるみたいで、社会人らしい人がぎゅうぎゅう詰めになっているビルの中でデスクに着いていると、体がブルブル震えてきてギャー
って叫んでいる自分がいるの。
もう妄想なのか現実なのか分からない。
くたくたになって帰宅し一人マンションの部屋にいると、隣の部屋の笑い声、廊下を歩く足音、車のクラクション、人は居るみたいだけどひたすら長く深く続く闇の中で、この地球には私しかいないんじゃないかと思うほどの孤独感が襲ってくる。
藁をも掴みたいという古い言葉があるけれどそんな風に私がリラックスしていつまでも安心していられるようなところには何に掴まったらいいのかが何だか本当に分からないのよ。
息もできない…
気だるさの中に心の軽さを感じた。続けてみると頭のてっぺんからスーと何かが抜けてすっきりしてきたり、目の前の景色が明るくクリアに感じたり、体がほかほかして柔らかく感じたり、悩んでいた事に対して答えが出たり、心にずっしりと乗っていた重石が消え軽やかな気分になったり、涙が出てくる事やあくびが止まらない事も。
どんな症状が出るかはその時によって違うけど、最後にはすっきりしていた。
こんな体験をこのパワー機で感じました。
連続で受けた時は気分爽快、目の前が明るく前向きな気持ちになり、さっきまでの自分とは別人と思えるほど。
足取りが軽くなると、踊れそうな気になってバレエスクールに行っていた。
清々しくきらきらと輝いた妖精のように踊っている人を見たら自分も清々しくきらきらと輝いた妖精になっていた。
自分がそうなったら、自分に関わる周りの人もそうなるのだろう。
だとしたら、人間関係は変わってくるのは当たり前だと思う。
これからも受けようと思う。
このブログを書いている人と私とでは世界観が違うけど私なりに楽になってきたしこれからどうしていっていいかまだ何となく霞んでるけど以前より進めるからいいと思っている。
 
F.N様 40代 会社員
私は友人の紹介で来ました。
はり治療は月に2回でパワー機は毎週受けています。
1回の時もあるし、2~3回受ける時もあります。
初めは友人のAさんに男ができたか新興宗教でもやっているのかなと少し間隔をあけて見ていました。
どうも新しい男でもなく宗教臭くもないのです。
ところが被害者妄想の、他人から脚光を浴びることの、セレブの真似事をすることの大好きなAさんがそういう行動をとらなくなったのです。派手な格好も減ってきたしスイーツのバイキングにも全く行かなくなっちゃったしイヤに落ち着いているし、悪く言えば気味悪いのだけど隠れてタバコ吸うのもしなくなったし一体どうしたんだろうと不思議に思っていたのです。そしたらはり受けて変な機械受けてるだけだって言うし、他にお金掛かってないのと聞くと交通費くらいかなっていうので半信半疑ながらAさんについていったのが最初の事でした。初めは嘘臭いと思っていたのだけど、担当者はこっちを全然押してこないし、こっちが質問しないと答えてこない偏屈野郎でどうしようかなと悩んじゃいました。
だから冗談半分で始めたのですがだんだんというか、少しずつ少しずつ今まで見ていなかった認めていなかった部分というか、これを無意識というかそういう部分が見えはじめてきたというか感じれるようになってきただけなのです。
しかもそれを無意識とはいえ自分がやっているということを認めたくないけれど認めざるを得ないというか、でも担当者は責めてくる気配もないし、私はどうしようかと迷いつつ続けてしまいました。
それに気持ちが良いのも事実なんです。爽やかというか森林浴というか良い気持ちです。
そうしているうちに自分で気づいたことがこの後の文です。
自分を認めてほしい、良く見られたい、自信がない、自己証明、存在を認めて欲しい渇望している、自分は劣っていると思っている、評価を期待しているできれば高い、欲、どうにかしたいともがいているコントロール、自己満足、正当化したい、一生懸命やるのが良いことなんだという思い込み、そのままの自分を見るのが怖い、自分を認められない、自分が信じられない、自分の感覚を信じていない、判断基準は他人の価値観、世の中の基準、という今まで身につけた観念、思い込みで生きてきている。この思い込みがあるからその人それぞれの捉え方があるのだけど、自分を出してはいけないというルールがあるから他人からの承認が必要になる。自分の中より自分の外、他人がもつ価値や評価を重要視することになる。そうなると他人の基準、世の中の基準を軸としてそれに合うような自分を作るようになる。
人にどう見られるかと良い評価が出されるように取り繕うために素の自分をごまかす必要があるからぬいぐるみを着る。
つじつまを合わせる為にトリックを作り幻想を作り上げていく。
ぬいぐるみは本来の自分、実像とは違うからつじつまを合わせようとして作ったはずなのに違和感を感じ苦しくなってくる。
ストレスとか欲求不満かな、ここでズレているというメッセージがあるのに、そのズレをごまかそうと自己正当化していく。
幻想の世界にしがみついている時は感覚では見ていない、今ではなく過去や未来、あらゆるどうにもならない事に注目している。
感情論で見ているから起こった出来事をそのまま見ることが出来ない。今を見ていないから今の出来事を完結できない
自分と他人は違うものを見ている、十人十色の見方ということは自分と違って当たり前、だから比べることも合わせる事もない、それをしなければオリジナルになる。
自分が本来の自分であればそれでいい。
どうせ人はその人のフィルターで見るのだから、どんなに分厚いぬいぐるみを着ようがその人の価値基準に合わなければそれまで。
一生懸命やることはぬいぐるみを満足させるためにやっていた。ということに気づいた。
これからつくり直したい。