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天動説と地動説
中世ヨーロッパにおいて侃々諤々(かんかんがくがく)
ガリレオ・ガリレイ、多くの方がご存知の事と思います。
この時代はローマ法王の発する見解が正しさでありそれ以外の異な
全体的な物の見方からすると、ひとつの基準ともなる見方です。
天動説か地動説、
天動説だからといって太陽や金星や木星がどうのこうのというつも
天動説的生き方は、
縦社会の発想に基づく生き方という事です。
しかも何千年ともいう長い年月そうしてきています。
言い換えるなら自分のエネルギーやら考え方や表現して生きて行く
自分のエネルギーのままに生きてしまうと不道徳、非常識、
もっと言い換えると自分のエネルギーのままに生きるという事を何
それをうまく表現しているのが、
次に地動説ですが、
責任を取るという事は自由であるという事にもなります。
つまり自分を中心にして全ての事柄に対応して生きていくことです
当然ですが初めからこれを出来る人は誰もいません。
目には見えない世界の法則として自らの周りや環境の中に制限をし
これをしないとただの思い込みや勘違いだけで空しさだけが残って
それだけ天動説で身に付けた鎧は頑丈なものなのです。
例えば交通事故です。
事故が起こるので天動説的にいうと加害者と被害者がいます。
天動説ですから、
勿論、法律的にもそうなっています。
これを損失とか正しいとか誰が間違っているとかいう価値観という
中立的に見てみると、道路上で誰かと誰かが事故にあった、
客観的な現実はただそれだけです。
何かの意味付けとか価値については各人各様がそれぞれ内側でやっ
さて、今度は地動説で見ていきます。
目には見えない世界の法則には素粒子が関係してきます。
そこから見ていくと、
なぜならば同じ周波数でしか遭遇する事がないというのが法則です
また事故を起こしたということは否定的観念を双方とも持っていた
そして、
従って、
つまり偶然ではなく必然であるという事になります。
付け加えるならばそれが自然からのメッセージという事になります