長野に存在するある禅寺の話が入ってきました。 ある人は社会復帰の為にお寺に住み込んでいるのだそうです。 そこには他に10代後半から40代の男女が三々五々というような 様子で常住しているようです。 ある女性は親から教育の為といわれ連れて来られたと言っています 。 その子はルールというか行儀という名の不特定多数が共同体として 生きていくためのしつけが必要だということです。 またある男性は社会に自分の居場所がない、 どこを探しても見つけられないんだと言っています。
数日の禅寺修行を体験していた女性は休憩中に町へ行き、 アイスクリームを食べて生きるありがたさを感じたと語っていまし た。 元ホストというパッと見はちゃらちゃらした感じの男性は月に数千 万円稼いでいたこともあったが、なんか… と言葉を濁していました。元教師をしていたが、 スケジュールが組めなくなったり忘れっぽくなったりして、 仕事ができなくなってしまったという方もいました。 実際にこうした方々が毎月いくらを禅寺に支払っているのかまでは わかりませんが現実にこうした方々がいるようです。 こうした方々は自分の意志や自分の考えがあるようでないようで… でも逃げ場所というか行くところが、 見てくれる人がいるのはとても幸せな事なのかもしれません。 こちらから見ていると、 そうした存在しているという幸福感は微塵もなく、 ただひたすら自分以外の人々が環境がいけないんだと言って100 % 被害者でいることを心の底から至福に思っているというように感じ ました。 もちろん人間ですから環境変えてゆっくりするとかのんびり考える 時間はあったほうがいいとは思います。 村上春樹さんの騎士団長殺しの中でも主人公が東北や北海道をテン ト暮らしをしながらまわってゆっくり自分の事を考えつつ小田原に 足を運んできているように、 そしてまりえの心と共鳴できるようになったのもエアポケットがあ ったからともいえると思います。 禅寺に足を運んでのんびりしたいと思う人も、 このブログを見ている方の中にもいるのではないでしょうか。 今の世間をみているとどんどん常識や価値基準が変わってしまいま す。 自分の人生ですから自分の生き方としてのものさしがなければ、 禅寺にいた元ホストのお兄さんじゃないけれど金があっても女を自 由にできても満足感が得られないのは当たり前じゃないでしょうか 。 先日亡くなった医学者の安保徹さんがコメントによく書く言葉があ ります。あなたは自分がないよ、 自分がどうやって生きてどうやって進むのかというような表現とい うのは、自分がある者のセリフだよ。というのを思い出します。 あなたは自分というものを持っていますか。 あなたは自分の確固たるものさしをもっていますか。 そして禅寺に常住している女の子の親が言っているように不特定多 数の共同体の中で生きていくためには、 自分のものさしを提示しながら異なるものさしを否定することなく 、 調和をバランスを生産していくための道具としてマナーとかTPO とか行儀の良し悪しが存在するのではないでしょうか。 言ってみれば交通ルールのようなものです。 肝心なのは車を運転する、自転車を漕いでいる、 ゆっくり歩いているあなたがどうやって目的地にどのような手段を 活用していくのかではないでしょうか。 説教臭くなってしまったでしょうか…。 そういうつもりはありませんが、 このブログに寄せられる質問の中にやたらと世間様や人の目を気に して、その基準に当てはまらない自分がいると、 自虐的になったり他者を責めたりして日々を暮らしている。 そんな中で自分の不明な点だけを質問してくる、 つまり世間様の人様のものさしに合わせるための情報ツールとして だけに質問してくるのではないかと思える質問がいくつかきている ので耳が痛いかもしれませんが禅寺の話が入ってきたのでここに書 かせて頂きました。どうぞ自分自身を、 自分のものさしを明白にして様々な表現方法を生み出しあなたの人 生を楽しんで下さい。そうすれば儲かります、 笑いがとまりません。 そのように生きたいと思っている方々のベースメントをこのHPは 提供しています。 自分のない生き方とはこのブログの数年間の中に書いてあります。 バックナンバーをご活用頂ければ…。