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2017-12-08 09:40:00

病名は・・・男7

このブログにおいて病名は男というとても楽しそうな、 またはとても嫌な予感を与えてくれるタイトルにしている理由のひ とつが今回の中にあります。とはいえ、 ここだけ読んでも点と線は繋がっていかないものと想像します。 このブログをどうでもいい暇つぶしに見ている人なら断片的にご覧 頂ければよろしいと思いますが、真剣に考えておられる方、 現在ど真ん中で苦しんでおられる方や今現在は大丈夫ではあるけれ ど他人事とは思えない切実な問題と捉えている方であるなら、 一から順番に噛み砕いて頂きたいと思います。というのは誰もが無意識に、全く気づくことなく行っていること、 それは闘い、 別の言い方をするなら自分以外の人に対しコントロールという目先 は気持ちよくても先々大きなツケとなるものであるということです
仕事場でも家庭においても思い通りにしたいとはいえ実に思い通り にならない現実を前に、 男というか男たちはただ歯を食い縛りながらも、 どうすることもできず悶え苦しむヘビのような存在でしかない現実 を見いだしている。 目の前の問題に立ち向かって行くことができない、 つまり闘おうという意欲はあるものの、 経験から分かっている負ける闘いはできない、 勝てない闘いは否が応でも避けざるを得ない。 そうした現実を認めたほうがこの先がスムースにいくであろうとは 思いつつ、 目には見えないエネルギーの中にあるメンツとかプライドを守るこ とも自己存在証明として絶対なものがある。 そんな男としての支えをなるべく傷つけないように死守するために は逃避という選択をするのは男たちのひとつの知恵ということにな る。さもなくば彼ら曰くそんな弱い己を受け止められず、 苦悩と孤独という出口のない迷路にはまり込んでしまう。 そうした男たちは皆自分が勝負に挑む前から負けが分かっていると いう戦にたつ自分を思い描くというのは、 嘆かわしいばかりではなく、 勝負に挑んで敗北を喫したのであれば、 彼らの心の闇が底なしになってしまうのも無理もなくいたたまれな い思いであろうことも想像に容易い。 そもそも闘うとはどういうことなのか。 男は勝負に勝たなければならないという伝統的な男らしさという固 定観念から解放されずにいつもいつでもどこでもピラミッド構造の 縦割りの中で上位にいることを求められて育ってきている男にとっ て、 たとえ心の底では下位であっても全然構わないという素の思いを抱 きしめていても、 この社会でこの世間で生きている以上には世間様の人様の組織の高 い評価を受け続けていなければならないという脅迫観念にも近い恐 れから解放されるということは、 意識的に意図している人は別として、無理な相談となる。 そうなってくると自己の立ち位置を推し量ってきた男性にとって、 それは紛れもなく勝者になることが前提であることは至極当然のこ ととなる。しかしながら、不当な人事評価、 不正なリストラ手法で社員を自主退職に追い込む会社、 夫の苦悩を知ろうとしないばかりか、夫、 父親としての存在を軽んじる妻、息子の仕事や家庭の苦境を慮る、 生みの親の特権を駆使して息子を束縛支配する母親。 こうした環境、 がんじがらめの社会システムのど真ん中にいる者にとって、 もはや闘いに正当、 公平なルールもあるわけもなく審判して下さる方がいればいいけれ ど…言ってみれば自分の人生にいい、 悪いの審判は幻想でしかなく、 虚像の中に生きている虚しさから逃げることもできず、 自己責任という名の下に楽しかろうが苦しかろうが好きでも嫌いでも毎日生きていかなけ ればならない現実がある。 男たちをがんじがらめにする闘うという概念そのものが、 大波にさらわれた小舟のごとく、 激しくたゆたってしまうど真ん中の男たちの気持ちを真剣に考えな ければならない時期なのではないだろうか。 今こそまず男性自らがそして女性や社会も、 その概念を見直し再構築する必要があるのではないだろうか。 理不尽な現代社会において勝つことだけが闘いの意義ではないとい うことを…。 もっと別の方法も別の生き方もあるということを認識する段階にき ているのではないだろうか。

■ 健康コンシェルジュ 気戸 ■
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