4月に出された宇多田ヒカルさんの歌詞です。
Play A Love Song
傷ついた時
僕は一人静かに内省す
深読みをしてしまう君は不安と戦う
Hold me tight and don't let go Why we fight l don't Know
他の人がどうなのか僕は知らないけど僕の言葉の裏に他意などない よ
長い冬が終わる瞬間
笑顔で迎えたいから
意地張っても寒いだけさ
悲しい話はもうたくさん
好きだって聞かせてくれよ
Can we play a love song?
今の時代にぴったりの曲ではないかと思います。 寒い時に寒くなんてないわよというのが一般的な今までの生き方と か対処法だったように思います。寒い時は寒いんです。 だからはっきり伝えてその先が拒否でも受容でもどっちでも良いん です。 自分がどう対処するかどう前に進むか自分で決めれば良いのであっ て、その先にしかハッピーが無いんだということになります。 今この曲がものすごくダウンロードされているのだそうです。 とっても嬉しいことです。 プログラム参加者の方によく聞かれることがあります。 分かんないとか出来ないとかちっとも意味が分かんないというよう なことを言われることがあります。宇多田さんの曲のようにただ発しているだけなのですが、人様は発する言葉に別の意味があったり、 言葉にできない何かのメッセージがあるように解釈しているようで す。 それをどう取ろうがどう解釈しようが人の自由であって肯定的であ り否定的であってもそれは発した本人ではなく受け取った相手様の テリトリーになると思います。 目的が見えているのなら周りがどうであれどうでもいいことの方が多いのかも知れません。 よく聞く言葉ですが意識と無意識というのがあります。 日本の匠という言葉がありますが、職人中の職人、 技術者の中の技術者とでも解釈すればいいのでしょうか。 ピカソとか池田満寿夫とか横山大観とか、 コックさんでいえば昔の村上信夫さんという方もおられました。 意識については、もう誰もが知っているので分かっているので、 こちらとしては興味も関心も特にありません。 注目しているのは無意識です。 この無意識を少しでも意識的に分かっていると生き方や過ごし方が 大きく変わってしまうものと思います。それが匠と言われる職人中の職人なのではないでしょうか。 通常の同種の方とは同じ事をしているようで実は格段の差が生じて しまいます。 彼らは明かに無意識を意識化して実践しているものと思います。 著名な方々のようにまでなる方はなればいいのであって、 こちらとしてはそうした天才とか秀才やカリスマになろうと言っているわけではありません。私のようなどこにでもいる庶民が、 この無意識を少しでも意識化できると精神、肉体、 対人関係そして経済が無理するとか努力とか頑張るとか勇気とかを 必要とすることなく具現化してしまうよと言っているのです。 ご存知でしょうか1980年代、 90年代に流行ったスピリチュアルなセミナーに参加した方々は、 飛んだり跳ねたりキャーキャーと私幸せよと誰かれ問わずに抱きついてしまうhappy happyな空気感でした。 祭りが終わり一人になるとメソメソして私寂しい私どうしたらいいの…。だからこそまたhappy happyの世界に自分に嘘をついて月日を過ごしたものです。 こちらはスピリチュアルなセミナーでもなく飛んだり跳ねたりもしないしhappy happyもありません。 ただただ穏やかに健やかに2525になっていきます。 まず騒いでいる人は確かにいません。