自分が理想とする自分像を認めてくれる人、尚且つ自分が理想とす るパートナー像を持つ人が自分を認めてくれて限りない称賛を与え てくれると自信も持てるし、毎日が楽しくてらくだし、何があって もどんな苦労をしてでもらくでいられるというのを望んでいる人が 、そうした未来像を求めているのが多いのを感じています。そうで ないとどんなに見事な化粧やファッションを身に纏っていてもやつ れた感じが拭えないように思えます。前回サンプルとした青山テル マの言葉の中で、あのーあのーというのもやつれた感じを漂わせる ように思えるのです。古い写真を見る機会がありました。 一枚は1900年、もう一枚は1913年いずれもニューヨークの 街中の写真です。一枚は馬車が写っています。もう一枚は古い型の アメリカ車でしょうか自動車が写っています。歴史に詳しい方はお分かりでしょう。たった1 3年で馬車を目にすることがなくなってしまいました。1913年 とて自動車は高い買い物だったのではないでしょうか。1990年 代初めではまだまだ固定電話が主流だったと思います。2000年 代に入って携帯電話からスマートフォンが主流になっているものと 思います。なかには面倒臭いスマートフォンからガラケーの携帯電 話に戻している人もいるといいます。あなたも私も参加しようがし まいが関心もとうが無関心であろうが、 人は平等に年を取り時代の流れとともに変化しているようです。1 00年後に生きている人達が100年前の私達を見たなら、どんな 風に見えているのでしょうか。産業革命以降、物質的な発展や進化 はかなり進んできているのではないでしょうか。非物質の発展や進化も進んでいるように思えます。世界中に国を動かすだけの宗 教はあるものの、かたちばかりにエネルギーを注ぐことが多いのが 理由かどうかは分かりませんが、若い人からの宗教離れは世界中で かなり進んでいます。決して信仰を軽視しているというのでもない ようであり、中味のというか質に対する価値観が進化してきている ように思えます。誰もが認めるように物質というのは、人の心とい う非物質から物質が生産されているのであって、非物質がより進化 していくのは自然の摂理のように思います。傍観者とはただ何もせ ずに見ているだけの人のことでしょうか。こんなことをハービーハ ンコックのJust keep on doing it.を聴きながら考えています。