Rainっていう曲があります。確かSEKAI NO OWARIだったでしょうか。この曲が好きで好きで毎日のように聞いている のだそうです。奥華子の曲にマラソンの歌で一歩前へというのも好 きなのだそうです。お金がないよ…時間がないよ… 子供がいるからさ…なんかやってみたいけど私なんかじゃダメみた いな気がするし…知らない事ばっかりだからできないんじゃないか な…等々とやらないできない事の正当化はエンドレスゲームのよう にいつまでもいつまでも続いていきます。そうして人は年老いてい くのでしょう。年老いたものは、若い頃にやっていればな… あの時思いきっていればな…タイミングが合わなかったんだよな… もう年だし自分はダメだよな…等々と今の自分を正当化し肯定する 自分ってなんて素敵なんでしょうと悦に入っているのはいつもの事 です。ほとんどの人はそうして一生を終えていくものと思います。それでいいと思うし、そう した一般大衆の普通の生き方がどの国でもどの集団でもどの組織で も大勢いて、そうした人々が先駆者達のあとをついていくというの が過去の、そして未来の歴史を作ってきているものではないでしょうか。肩に力を入れて私はやるんだとか、俺がやるんだとかという 人はほとんど潰れています。たぶんあなたの周りにもいるのではな いでしょうか。例えばアムウェイとかベルギーダイヤモンドとかマ ルチ商法的なものに集まってくる人々がほとんどこうした感じじゃ ないでしょうか。そうした生き方で得るものもあるけれど… ここでは異なります。前回に取り上げさせて頂いた方もこの辺を理 解して下さっているものと思っています。もしそうでない場合、 この方も潰れます。当方のメカニズムを理解したとしても行動が肩に力が入るよ な方は方針と異なるからです。会得する方は、終始自然な生き方に 乗っている方のみです。そうなんです難しいと思う時点で、当方の 方針からはズレた方という事になります。もちろんそうしてズレて いるからこそ上手くいってないわけであって、それをその方本来の 道を歩まれるようにサポートするためのプログラムに過ぎません。 あなたの周りをよく見てみて下さい。言葉で立派な素敵な事をいっ ている方で、肩に力が入っている方はその言葉を本当は信じていま せん。肩に力の入っていない方の言葉はおおかた信じられる、信頼 できるものではないでしょうか。