いやもおうもなく世界中がコロナショックで生き方を変えています 。日本人と違ってアメリカ人の行動は素早いものがあるようです。 ロックダウンが始まるとすぐに従業員全員解雇。会社や店舗が行き 詰まるなと読めるとすぐさま廃業です。20年40年繁栄していた 店舗でもその行動は即決です。日本ではなんかダラダラと自分の責 任なのか御上の責任なのかとどっちつかずの結果としての廃業のように思えます。国民みな10万円とかマスクだといっても、実際に本当に受け取れるのかどうかもわからないというのが私達の現実のようです。アフターコロナといってもずいぶんスピード感が異なるようです。そうした私も日本人ですのでそうした空気感が決して嫌でもないのだけれど、こうした空気感に慣れてしまうのが怖いような気がします。なんかどうでもいいか、なんとかなるかなんて気になってしまう のは私だけでしょうか。これって天動説的な生き方ですよね。そこで自分を通すと嫌われるし変な目で見られるし無視されるししまい には村八分になるかもしれない。井原西鶴や近松門左衛門の世界かな。やはりこういう時は遠藤周作さんの沈黙、このタイトルのよう に沈黙して自分のワクワクの芋づるに沿ってこのトンネルを抜け出 していくしかないのかも…。参考になるのは、やはり歴史です。イ エスキリストが捕まると弟子たちはみんな逃げました。十字軍だと 言って中東の物品や文化を盗みまくりました。フロンティアスピリ ットだと言って5千万人のネイティブアメリカンを殺しまくりまし た。スペインは天然痘で南米を滅ぼしました。信長さんが結局のところ殺されました。秀吉は巧みに泳いできたものの孤独感とともに死んで います。だからこそ神格化される家康が徳川幕府に必要だったのか もしれません。第二の黒船とも言われるコロナショックの中でこれ からどんな明治政府になっていく事でしょう。 坂本龍馬のように倒れていくか。西郷さんのような勝海舟のような 榎本さんのような生き方もあるかもしれません。いずれにせよそうした方々は書物や誰かの教えではない、自分自身の心の中にある自分にひたすら正直に誠実に生きていたのではないかと推察しています。