前回の文章に対する意見が二三ありました。皆さんも色々と考えて いるのですね。そのように考えるというのが固定観念に何の疑いも なく何の疑問もなく考える、それをどのように具体的にしようかと 形式を重視した考え方というのと、この観念というかこの定義がど うなのか自分にマッチしているのかその観念でいいのか、この先も この固定観念をベースメントにしていて大丈夫なのかというのがあ ります。上記の2つが一般的な考える対象ではないかと私は思って います。このブログを出している理由なりこのような文章を何年に も渡って続けている理由は、上記の2つの考え方とは異なります。 つまり観念や定義の奥の話がベースとなりあれやこれやとなってい ます。だからと言ってここに足を運ばれた方にこの奥の話をするか というと、それは個人個人の都合により一概にお話すると決めているわ けではありません。そこまでに掘り起こす段階になっている人もい ればなっていない人もいるわけであって、この辺は非常に個人差の 激しい領域であるということが、色々な体験から理解に至っていま す。明治時代の末松さんの行動エネルギーは、明らかにここにある 事がはっきりとわかっているので出しました。末松さん自身のなさ った事を理解する事は誰もが無理も難題もない事と思っています。 所詮過去の事ですから、私達の毎日の生活に大きく響いてくるとい うことは何もないと思います。コロナだオリンピックだデフレだ低 金利だ仕事がない世界水準から下がっている等々と言われている私 達の現実です。観念の奥にあるものを明白に認識したとしたならば …小笠原理論書に書かれていない、本当に面白いワクワクしちゃう現実 が見えてくるものと思っております。 そのために末松さんをクローズアップしただけなのです。そしてこ の辺に感心があるのは女性が多い事に認識をしています。