前回取り上げた方が、もう来ないと思ったら翌日にまた来られまし た。前日は機械を無視してきたのに、今日は一時間受けたいのだけ れどいいですかと聞いてきたのです。もちろんOKして機械が終わ ったら、昨日とは別人のようにペラペラと話しはじめました。
自分の中にあるモヤモヤしたものがこれでいいのかなとか、社会が こうだからそれでいいと思っていたけど、なんか自分は違うように 感じる、カナリア諸島の噴火のように自分の中から抑えきれずに吹 き出してしまいそうな感じがある。会社に行くのが当たり前だと思っていたけど、コロナもあってリモ ートとかで会社に行かなくても良くなってきた、 それができる人はいいけど、自分はなんか踏み切れないし、家に居 るとなんか余計なことばかりしてしまってかえって情緒不安定…。
そんなことを吐き出すように話していました。こんなことも言って いました。二年前にある程度は理解した、これでなんとか巻き返し ができる。大丈夫だ…と思っていたけれど、説明の中にあった違い というものが十分には分からなかったのかもしれない。 これは経験を積み重ねていかないと仏教用語でいう、不動心、 にはなかなかなれないのかもしれない。今回はその辺をクリアした いのだけど、引き受けてくれないだろうかと言ってきました。こち らとしては表面を着飾ってチャラチャラしている人よりも、中身の ある自分を持っている人の方が、たとえ価値観が異なっていたとし ても、信頼できる人になります。相手様の価値観にはこちらは触れ ません。もっと確信となるところにフォーカスしています。それが 小笠原理論です。表面的なことを重視する人には関心がありません。この方もそうです が、多くの方がモヤモヤとしているし、右に行こうか左に行こうか という損得勘定が目に付きます。それもいいけれど、 自分の人生です。自分の人生の経営は、やはりご自身でなさるもの ではないでしょうか。こちらはサポーターに過ぎません。上手く活 用していただければお互いがラクで楽しくなります。いってみれば 、気づくか気づかないか。やるかやらないか。できるかできないか ではないでしょうか。こちらはやる気のある、目覚めたいと思う方を思いっきりサポートすることしかできないのかなーと思っております。