作家の世界では、ある意味では残念であり、時代の流れからして交 代期にもなっていたと言える瀬戸内さんの消え方だったように思え ます。生前には岩手でも京都でも、とにかく人が集まりました。い つも万単位だったのではないでしょうか。それだけ人がやればでき る事をやらないでできないできないと思っていた事を瀬戸内さんは ただ、ただ淡々とやっていた方だと思います。前回、都議会の木下 さんの保身の話を出したところ、意外な反応がいくつも返ってきま した。こちらとしては当たり前の事なので、何の反応も来ないと思 っていたのです。瀬戸内晴美さんは、講話でも小説でもインタビュ ーでも、いつも基本的に同じ事を口から出していました。あなたも 私もただの人間です。ただの動物です。欲もあれば執着もある。 嫉妬もあれば傲慢な思いもある。マウントという言葉が出回っているよう に、人より優れた秀でた存在でありたい。自然界からみれば… ですが、人とはそういうものだ。そういう自分をそういう環境をそ ういう人間関係を認識した上で、さてどうしようかというのが瀬戸 内さんのメッセージだったように思えます。 実のところ誰もが知っているそんな事のために、岩手の山奥に、新 幹線使って京都に行く人が常に万単位でいたということなのです。 言ってみれば、できないできないどうしたら良いの。瀬戸内さん教 えて。瀬戸内さん導いてというような方ばかりとは限りませんが、 ほとんどはそうだったのではないでしょうか。そうすると木下さん を悪く言えるのでしょうか。悪く言っても良いけれど、そのつけ払 うのは言った人になるって事をわかっていないのかではないでしょうか。このブログに対して、時 折メールをくださる方がおられます。一度として足を運ぶことなく 、お前らのやっている事は俺にはできてるんだ。そんなくだらねー 事やめちまえよというようなメッセージをくださる方です。 この事例をとってみてもそれが生きている事なんだ。それでどうす るというのがこのブログのメッセージです。もちろん、 非難したい人は、マウントして自己の優越に酔うのもいいのですが 、時代は変わってきています。 さて今後どうなっていくのでしょう。そんな様々な障害物があれば あるほど、日々の生活はより楽しくなってくるのが小笠原理論です 。それをどう解釈しどう理解しどう活用していくかを教えて下さっ た瀬戸内さんに、木下さんに感謝の気持ちが私は湧いてきます。