調布の深大寺参道をのんびりと歩いていると、お蕎麦を茹でている 匂いでしょうか。この油の匂いは山菜の天ぷらのような気がします 。お蕎麦も食べたいし、甘味も魅力的です。この先には都営の深大 寺植物園。この季節は薔薇の香りで心は淡味です。世間様は円安だ とか戦争とか日本が貧乏になっていくと言われていますが、 今は薔薇の香りに包まれて過ごしたいものです。植物に関しての知 識がないものですから、よくは知らないのですが薔薇は年に1回し か咲かない花でしたよね。 東南アジアでは稲の発育は2回か3回あるのでしたっけ。日本では 稲の生育は1回ですよね。つまり、薔薇でも桜でも稲も年に1回し か注目を集められない、その1回の為に1年がある。 魅力的な薔薇を披露する為に、1年の労力とメカニズムが存在して いる。たぶん自分もそうだと思いますが、咲いた薔薇しか意識にない。深大寺 のお蕎麦も目の前に出てきたお蕎麦に意識があるだけで、大地に芽 を出し育っていく蕎麦の実に意識はほとんどないのではないでしょ うか。人間でいうなら、母の体内から産まれ出て、一応の人間とし て評価されるようになるのに20年かかっています。 時代小説では15歳。15歳で男は元服となり女は嫁入りとなって います。それでも15年かかっています。深大寺植物園の薔薇はこ の5月がピークのようです。ここで行っているプログラムも日々の 蓄積が深大寺植物園の薔薇のように、 その人その人なりの開花となってゆき、また新たな種を蒔くことで 開花していくのでしょうね。戦争や円安、輸出入の不均衡やインフ ラの不安定という混乱と混沌が続くその先に開花した薔薇があるのが自然の道理のようです。