単なる他者への思いやりを勧める本ではないです。私はこの本と、「バカの壁」、「許すということ」の3書で人間関係の諸問題は瓦解すると思っています。
上記の文章は「箱」に対する主流の意見とされているものです。なんか背筋が真っ直ぐできちんと正座してお茶の席にいるようなかしこまった気持ちになってしまう私です。こんなに立派に真面目に箱に対して捉えている人もいるのですね。養老さんのバカの壁なんて、なんか簡単に書いてあるようでもかなり難しいですよね。そうやって目には見えない世界の法則である無意識に自分が人が…いったい何をやっているのかという追究は、面白いといえば面白いし、難しいといえばなんかかなり難しい世界のようにも思えます。本当はかなり簡単なのかもしれません。というかそこが小笠原理論を追及している理由です。多分誰もが自分の事を一番大切に思っていることと思います。その自分が日々生きているということは接触する頻度の高い人がいるはずです。したがって自分が大切に自分を思うのなら接触する人も大切なはずです。では、現実は・・・少し古いけれど寅さんや健さんの映画が終わった後の広場の足音や輝き、日常に溶け込んだ後のその人はどうでしょう。子どもが仮面ライダ-に成りきっている姿は微笑ましいものがあります。「箱」やアドラーの本を読まれて思いやりや慈愛深くなるのも素晴らしい事です。その1週間後1カ月後はどうでしょう。希望や願望といった理想と客観的な現実には、そうなんですギャップがあります。そのギャップを埋めるためにありとあらゆる手段や方法もあることと思います。そうした本も沢山あります。中にはできる人もいるとは思いますがどうでしょう。できる人が多いのならそうした類の本やセミナー、方法論がこれほど多くある必要性がないのではないでしょうか。ではどうして群がるようにそうしたところに人が集まり、本がたくさん売れるのでしょうか。
自分軸と他人軸をどのように解釈し理解し実践していくかで上記の内容が変わっていくように思われます。前回、タイミングが合わないとかずれてしまうのはどうしてでしょうとしました。理想と現実にはギャップがある。その幅が広ければ広いほど日々の生活は悶々となるように思います。しかもこういう時はお酒もギャンブルも美味しいものです。このギャップが狭ければ狭いほど、もしくはギャップがなければ日々の生活はらくで楽しいものと思われます。タイミングが合わないとかずれがあるとかというのと重なってきませんか。では、自分軸とか他人軸の捉え方にもよりますが、自分が持つ信念や観念、定義が他人から植え付けられたものではない自分のもので生きていったとしたなら・・・どうでしょう。ここで箱を読まれた方で合点がいかないとか納得がいかない、わからないという方にとって、小笠原理論の理解と実体験があれば未来は楽しいあなたのものとなることでしょう。