1966年に亡き遠藤周作さんが世に出した「沈黙」は、世界中で 多くの方が読まれている本です。映画化にもなっています。長崎の 十六番館に展示されている踏み絵。聖母マリアやキリストが銅板に なっています。その踏み絵により様々な生き方と運命が生み出され てきた日本の歴史です。このブログをご覧頂き多くの意見や質問を 頂いております。話しが中途半端だとか難しいだとかわけが分から ないだとかもっと書けとかと色々です。 反響を頂きありがとうございます。多くの意見や質問にお答えした いとは思いますが、すでに小笠原理論を知る方ならお分かりのよう に、人は多種多様に生きています。価値観も様々です。宗教のよう に宗教という洋服を着せて右へ行くんだよというものではありませ ん。宗教という洋服がサイズが合わなかったりカッコ悪くて似合わなかったりすることもあります。右へ 行けといっても時代の流れで右がすでになくなっていることもあり ます。時代はどんどん便利になっています。料理なんてもう面倒臭 いのです。レトルト、冷凍とか出前もあります。洋服、車、家具、 おもちゃ等々のサブスクリプションもあります。自分でお金を払っ て全責任を取るのはもう面倒臭いのです。レンタルで済ませてしま えば結果は同じです。社会では派遣とかレンタルオフィスやマンス リーマンションもあります。とにかく面倒臭いのです。 ホストクラブやパパ活、風俗に行けば女も男も性欲処理ができます 。とにかく面倒臭いのです。結果が出せればいいのです。形だけ整 っていれば虚しさは後の問題です。要は責任を持って覚悟するとい うのがイヤなのでしょう。人様が敷いたレールに乗っていればらくで楽しいのです 。あとは批判だけしていればいいのです。ところがコロナショック が出てきました。今までのようにはいきません。 レールがないのです。宗教という洋服を着ている人は洋服の中にあ る本体を見つめなければならなくなりました。御上のいうことを無 条件に従っていてもいいのでしょうか。パチンコ屋さんの生き様を 論ずる中で、本当に行き詰まって誰も助けてくれない、どうにもな らないとしたらどうでしょう。沈黙に描かれた踏み絵は今の私たち の生活の中にたくさんあるのではないでしょうか。 世間のタブーをタブーのままにしていくのか、タブーも認めてレー ルのない未来を作っていくのかどうかでは…。このブログは、 ダイナマイトを爆発させるか否かの導火線のようなものです。小笠原理論とは導火線にすぎません。機械はそ のサポートにすぎません。