先日、40代男性が来られました。 主旨は機械もプログラムもどうでもいいから、 ブログに書いているようないい加減な中途半端な書き方でなく、 きちんとした小笠原理論を知りたいんだ、 ついてはビジネスにも応用できるものなのかという方でした。 このように言われて決して気持ちのいいものではないものの、 過去においていい加減で中途半端な書き方になってしまっていたの だな~と自分の未熟さを認めることとなっています。 このブログをご覧になっている方で同じような意見をお持ちでしょ うか。 こちらとしては足を運んで下さってプログラムを進める方に関してのみ、きちんと説明は致しております。 このブログにおいては色々な理由や都合があり、 書けない出せない事柄が多くあります。とはいえ、 このような方がおみえになってご意見を頂きましたので、 この方の意見を尊重しこのブログでの核となる事について今回はお伝えしたいと思っております。 過去において人は皆ぬいぐるみを着ていると書いています。 このぬいぐるみは生きている生活している以上はいいも悪いもなく 必要からきているものだと思っております。 そのぬいぐるみとは常識、道徳、倫理、教養、 社会システムの知識、学歴、地位、名誉、 財産等の生きていくための処世法です。 これがないと浮いてしまうし村八分にあうし一人で生きていけない し、日本では共通通貨として円も使っているし…。 つまりぬいぐるみに関しては生きている以上はこの社会に適合して いないと自分自身が生存できない、 ということになってしまいます。 だからこそ自己主張するし知らないなと思えば学ぶし、 色々な技術も身に付けるしお洒落もするし、 それを楽しむこともしているし、 そうしたノウハウとかマニュアルのようなものに対してぬいぐるみ と表現しているのです。こちらが強く感心を持って書き続けているのは核となるところです 。この核となることについては、 小笠原先生が発言してきている通り宇宙のメカニズムであり、 目には見えない自然の法則であり、 個人個人においても金があろうが権力があろうがどうにもこうにも どうにもならないものだと言われています。 男が嫌だといっても女にはなれません。白人は黒人になれません。 このようにどう願おうがどうあがこうがどう訴えようが、 残念ながらどうにもならないことはあるわけで、 こちらも随分悩んできています。 同じ人間である以上よくなりたいとか幸福でありたいと思うわけですがどうにもならないことに人は2種類にどうも分かれているのです。どこが異なっているのかというと、 それは生きていく中心となる核と表現すればいいのかもしれません 。この核において、人間には2種類あるということです。 それは核が縄文人か弥生人かということです。 これは日本人を対象として表現しているわけではありません。 また縄文時代とか弥生時代と結びつけられても困ります。 単純に捉えて頂ければ分かりやすいかもしれません。私達が生きてきた過去においては弥生人が優先されてきていたということです。 どんなに頭がよく有能な方であっても核が縄文人のかたは自分の能力はほとんど活用されません。評価されません。 認めてもらえません。 あまり有能でなくてもごくごく普通であっても世間知らずで空気が読めなくとも弥生人であるなら優先され金が入りいい思いができるようになっているというのです。 つまりあなたが縄文人であるなら過去においてどんなに努力しエネ ルギーを燃やし頑張ってきているわりには面白くないと感じているのではないでしょうか。なんであんなヤツが、 どうしてあんなに勉強できないヤツが上手くいってるんだ、な~ んて思ったことがありませんか。
小笠原理論をきちんと知りたいといってきた方もたぶん縄文人だと思われます。表ヅラでは100%分かりません。 このブログを一年以上ご覧になっている方は、 ご覧になりたいと思ってみて下さる方は、 十中八九縄文人だと思います。