加藤剛さんが亡くなられました。アレサ・フランクリンも亡くなら れました。ジョージ・ハリスンやプリンスの追悼アルバムも出てい ます。いつでも年月を重ねていけば自分自身を含めこの物質世界から消えていくという事実はどうにもならないことのひとつのように 思います。最近私の心に矢が放たれたような痛みを与えてくれた死 者がおります。それはあらゆるマスメディアが積極的に取り上げら れている方です。夫といえばロックンローラーと言いつつ、そうし た仮面をかぶって演じているだけのようにしか見せて下さらない気 の小さい普通の男のようです。私が注目したのは樹木希林さんです 。この方は生前、娘の也哉子さんに何度も何度も繰り返しこのよう な言葉を残されたのだと耳にしています。 それは娘の立場からすればうるさくてしつこく、うんざりするような気持ちで聞いていたという ことでした。「おごらず、他人と比べず、面白がって平気に生きて いけばいいんだよ」テレビで喪主の代理を務めていた也哉子さんが しみじみと語っておられるのを、目にして耳にしている私は、他人 事であるにもかかわらずまるで也哉子さんと自分がピッタリ重なっ てしまっているのです。とてもとてもそうした意識にはまだまだ到 達し得ない自分がいます。 少なくともその途上にいる自分を認めることはできるとはいえ・・ ・階段はまだあるんだなというある種の失望と希望という背中合わ せの現実を目にしたような思いでした。SNSでも多く目に入る樹 木希林さんのたくさんの他人への思いやり、 慈愛そして寄り添うことのできるアガペの愛を、まるで1997年 に亡くなられたマザーテレサを想起させてくれるメッセージがさりげなく、か つ目立つのを避けるように実行してきた方だったんだなーと実感しています。森繁久彌さんが生前「あの女優はどんな根性の悪い女を 演じても、去った後に可愛らしさを残す。救いのようなものを多く の人に与えてくれる女優さんだな」と語っていたそうです。そうし たパーソナリティーだったと言ってしまえばそうなのでしょうが、そうした行為というのはマニュアルではなく教えられることでなく 、大地から湧き水が湧いてくるような、そんな力強くもなく自己顕 示欲でもなく承認欲求でもなく、ただただただただ呼吸をするよう にその人本来のものが滲み出てくるような感じなのでしょうか。小 笠原理論を様々な方が様々に解釈なさっておられますが、損得とか 欲とか執着とかじゃなくて、自然に湧きいずる滲み出てくるエネルギー なのではないのかなと亡くなられた方から再認識し再確認している ところです。テーブルに置かれた紅茶は冷めてしまったけれど、し みじみと味わっています。