私達は子供の頃から友達が多ければ多いほど誉められる、食べ物は 好き嫌いせずに何でも食べましょうといわれ育ってきています。だ からでしょうか仕事でも勉強でも好き嫌いを表現するとわがままだ とか自分勝手といわれ、人に対して嫌悪感を示そうものなら未熟で 心が狭い人だと思われがちです。 率直に嫌いなものは嫌いではいけないのでしょうか。嫌いになるに は嫌いになる理由があるはずです。もちろん最初は何となく嫌いと いう漠然とした嫌いから始まることもありますが、その何となく嫌 いにも何らかの理由があるはずではないでしょうか。それなのに、 なぜ嫌いかと問うことよりも嫌いなものを作ってはいけないという 社会通年のほうが上にきてしまう。とっても奇妙ですよね。なぜな ら嫌いという感情は自分を守るために非常に大事なもののはずです。自分にとって必要のないもの、もし くは害になるかもしれないものを回避するために不可欠の動機づけ です。危ない人物には近づかないでおくための大事な感情でもあり ます。このアラームは自己防衛本能でしょう。それなのにこの感情 を出すと劣等な人間だと見なされる雰囲気になってしまう… 不思議です。更に私達は嫌いと口にすると同様に他人から嫌いと言 われることに慣れていません。自分とは違う人格を持っている人か ら嫌いと言われたとします。その時、 あああなたは私を好きではないのね。あなたは私と違うのねと淡々 と受け止めても良いはずだと思います。残念ながら多くの場合、あ たかも自分自身を否定されたり攻撃されたりと受け止めてしまうこ とが多いのではないでしょうか。それでも人は誰かを何かを嫌わずに生きていくことはできません。自分が そうされたら嫌だと思ってもこの感情を消し去ることは不可能でし ょう。たとえあなたが周囲の人に対していつもいい顔をしたいと思 い嫌いというようなネガティブな感情を消したいと願っても、それ はできないことでしょう。そしてどうしても消し去ることのできな いからには、この感情にはきっと何か意味が、何かの役割があるは ずだと思いませんか。嫌いが悪で好きが善なのでしょうか。自分に とって大切なものは何なのか。そしてそう思うのなら何を手放す必 要性があるのかを考えなければならないのかもしれません。そして 嫌いの本当の意味とその重要性を理解していったとしたならば、自 分や他者の嫌いという感情そのものを理解することへと繋がってい くように思います。本来嫌いというエネルギーは絶大なものがあります 。そのエネルギーをみすみす捨ててしまうのか、またはその絶大な エネルギーを活用して美味しい生活へと繋げていくのか。 これを読んで下さるあなたはどっち…。